被災者発信、メウロコ地震対策

防災だけじゃ足りない。防災・避難・復興まで、震度7被災体験を基に、リアルに指南します。

阪神大震災の被災者が言い合った「運が良かった」の意味を知って欲しい

4度の震災や水害など、自然災害で被災した方は、日本には数百万人もいるのが現状です。

日本列島では、地震活動が活発化していますし、異常気象による自然災害も心配されます。

 

被災してしまったら、速やかに立ち上がる事が重要です。

復興を早くするヒントとして、知って欲しい事があります。

 

被災したら「なんて運が悪いんだろう」と落ち込み、立ち上がる気力を失ってしまう人もいるでしょう。

でも、阪神大震災の時は、被災者の多くは、こう言い合っていました。

「運が良かった」

知り合いを見つけると、皆涙目で、抱き合うように言いました。

「良かった。本当に運が良かったね」

私も被災後、何度もこの言葉を言いました。心から、そう思っていました。

「運が良かった」

 

その時、神戸の街は、激震に襲われ壊滅的な被害を受け、あちこちで火の手が上がり、人々は着の身着のままで避難していました。

外から見れば、日本一不幸な人々だったでしょう。

 

それなのに、なぜ、運が良かったと思ったのでしょうか。

それは、身近な場所で、あまりにも多くの方々が亡くなったからです。

その亡くなった方と、生き残った自分の、違いは何も見出せませんでした。

特別な対策をとっていた、とかではありません。家具の倒れた場所が僅かにずれたら、自分の命が無かったかもしれない。

激震で家財が散乱する中で、自分が生きているのは、「運が良かった」としか思えませんでした。

 

この「運が良かった」の意味の重さを、判って頂けますか。

この言葉から、阪神大震災の復興は始まったのです。

生き残った人々は、何をすべきか、おのずと判っていました。

「運良く助かった命を大切に、前に進まなければいけない」

 

阪神大震災の復興の動きが早かったのは、こうした理由があったのです。

多くの人は、地震にあって不幸だと嘆く事はありませんでした。

そんな事を口にしたら、亡くなった人に申し訳ないと感じていたのです。

いつしか、神戸の人々の間で、地震の話は禁句となりました。

そして、多くの人は陰で泣きながら、それを隠して笑顔で復興に向かったのです。

「地震、地震言っても、しゃあないやんか。次に進まなアカン」

「しゃあないやんか」は、「しかたない」よりも、もう少し前向きの意味です。

その言葉を呟きながら、地震の辛い記憶を胸の奥の閉じ込め、前だけを見て、歩みはじめたのです。

 

被災した時、「運が良かった」と思うのと、「運が悪かった」と思うのでは、おのずとスタートが違ってきます。

また、後ろを見ながら、前に進む事は、正直難しいのです。

 

同じ被災者だったからこそ、シビアに言います。

現実に向き合いましょう。

目の前にある問題に、懸命に取り組んで下さい。

時間を元に戻す事は、どんな人にも出来ません。

心の整理がついたら、被災者を早く脱いで下さい。

地震にあったからといって、あなたはあなたです。

被災者と呼ばれていても、あなたの根本は、以前のままでいいのです。

以前のように笑って、今日を明日を楽しめるよう、出来る事をして下さい。

速やかに立ち上がりましょう。

または、具体的な形で、助けを求めて下さい。

場所や形が変わっても、あなたが心から笑える事が、本当の復興なのですから。