被災者の気持ちは、とてもデリケート。支援の仕方を考える
今日は、ちょっと辛口な事を書きます。
被災者だったから言える真実です。被災者になった経験のない方には、理解できない事もあるかも知れませんが、是非知って頂ければと思います。
被災者とってボランティアなどの支援は、大変ありがたいものです。
熊本地震でも、家屋の片づけなどに、大勢のボランティアが集まり、日によっては多すぎて仕事がない時もあったそうです。
また、芸能人の炊き出しやプレゼントなども、被災者を元気づけてくれました。
ただ、ですね、これらの支援で、実は傷つく被災者もいるのをご存じですか。
え? 支援で傷つくの? どうして?
意外に思う人もいるでしょう。
でも、被災者の気持ちは、とてもデリケートなのです。
例えば、有名人が来て、炊き出しやプレゼントをしてくれると、当然うれしいですよね。
そこにいる被災者は、一様に笑顔で「ありがとう」とお礼を言ってくれます。被災者に元気を与えた有名人は、大満足です。
「ああ、みんな、喜んでくれて良かった。やって良かった」と気持ち良く東京に戻ります。
この事は、マスコミで美談として伝えられます。
しかし、実は裏で傷ついている被災者も大勢いるのです。
被災者心理はこうです。
タダで、モノを貰うのって、嬉しいですか?
全然、嬉しいよ、って人もいるでしょう。
でも、惨めさを感じる人も多いのです。
与える側と、与えられる側。いつの間にか、こういう関係ができあがってしまい、自分は与えられる側になってしまった。
以前は同じ立場だったのに。
つまり、与えられる側になるという事は、自分が被災者だという現実を突きつけられる行為なのです。
プライドが激しく傷つけられます。
なぜ、自分は作り笑顔で、ありがたいと頭を下げているのか。
地震さえなければ、こんな事にはならなかったのに。
その、どうしようもない現実に改めて向き合い、夜中に涙する被災者も多いのです。
理解できませんか。
私は、とても良く判ります。
阪神大震災の時に、罹災証明が出たのは2カ月後でしたが、貰いに行くのが嫌でした。周りも、口々に抵抗感を示していました。
「え? 私達、被災者になっちゃうの? いややわ」
被災者と呼ばれるのが、とても嫌な気持ちでした。
なにか、とても可愛そうな人達と、ランク付けされた気がして。
ですから、自己満足で、被災者が喜ぶだろうと支援を行うのは考え物です。
阪神大震災の時に、全て10円で生活物資を売った人がいました。
この人は、とても被災者の心情が判っていたのです。
別に、10円もらわなくても、タダであげても、この人は良かったんだと思います。けれど、売るというスタイルをとった。
被災者は、「恵んでもらったんじゃない。買ったんだ」とプライドが保てたのです。
以前、東北の震災の後に「ボランティアを見ると、腹が立つ」という赤裸々な心情を被災者が書き込み、ブログが炎上しました。
その被災者の気持ちはこうでした。
ボランティアは、所詮は家に帰り、暖かな布団で寝るんだろう。そして、地震の事は忘れて安泰な生活に戻る。自分達は、まともな生活も出来ないし、未来への希望もない・・・。
ボランティアは、当然好意で、無給で、大変な思いをして働いてくれるのですから、素晴らしいと思いますし、震災復興には欠かせない大切は力です。
ただ、私は、この被災者の気持ちを、理解できました。
正直な気持ちだと思います。
ブログに批判的な意見が書かれるのも当然ですが、その書き込みをした人達は、被災者になった経験のない人が殆どです。
被災者の気持ちは、こうもデリケートで、深く傷ついているのです。
また、有名人による炊き出しやプレゼントなどの支援は、実は局所的で、恩恵にあずかれるのは、ごくわずかな人々です。
支援が狭い地域に集中することもあり、同じ被害の隣町には支援が届かないなど、不公平感がでます。
恩恵が局所的で、マスコミの報道ありきだと、ちょっと・・・と思います。
こうした支援は有難い事ですが、「与える」という上から目線ではなく、共に寄り添う気持ちが重要なのだと思います。
いつか、あなたが被災者と呼ばれる日が来るかも知れません。
辛い日々を過ごす方々に自己投影して、学ぶ気持ちで支援をして下さい。